ぴんくのくまがいる

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映画「三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実」他者と出会うための「からだ」と「ことば」

7月に観た映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」

 

私が一年半のブランクを経て、もう戻ることはないだろうと思っていた「学校」に戻る、というより再び立ち向かうことを決めるきっかけになった作品です。

 

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私は右だろうが左だろうが、暴力に反対したことなんか一度もない。だいたい学生の厭戦思想につけこんで、「とにかくここらで手を打とうじゃないか」という気分が濃厚になってきた。この気分は日本全国に瀰漫(びまん)している。イデオロギーなんかどうでもいいじゃないか、筋や論理はどうでもいいじゃないか、とにかく秩序が大切である、われわれの生きているこの社会の、当面の秩序が大切だ、そのために警察があるんだ、警察はその当面の秩序を維持すればいいのだし、その当面の秩序が維持されさえすれば、自民党共産党があるとき手を握ったっていいんだと。私は今そこの入り口で「近代ゴリラ」とかいう絵が描いてあったが、そういう点じゃプリミティブな人間だから、筋が立たないところでそういうことをやられると、気持ちが悪い。

 

自分の内的世界を出て、どんなかたちであれ「表現」するということは「暴力」や「対立」を生む。人を傷つけずに、傷つけられずに生きてこられたひとは一人もいない。一人ではなく誰かと「社会」で生きていくには、どうしても環境の影響を受けざるを得ない。主体がある限り、必ず「対立」が起こる。

 

三島由紀夫が言う「暴力」は「表現」ということと置き換えて私は考えますが、これが「ただの」暴力、「無為な」暴力、「垂れ流しの」暴力、「惰性、迎合による」暴力であることに対して、三島由紀夫は「気持ちが悪い」と言っているように感じます。

 

信念や意志のない「当面の秩序維持」という精神性のなさに対しての批判、日本の文化、精神性が失われていくことへの警鐘ではないでしょうか。

 

そう思えば、岡本太郎宮崎駿など昭和の文化人たちの顔が浮かんできて(「昭和の」とか「文化人」ということばが適切かはわかりませんが)、表現をするひとたちに共通の怒りというか、問いかけ、具体的な方法や細部の趣味嗜好は違えども、核となっている気魄、ソウルは変わらないように思います。

 

警察権力から諸君を見た場合も、諸君というものが何ら主体の意思のない、さっきのキチガイだと思えば、これに対して暴力をふるう余地はない。そう言いながらも暴力をふるうときは諸君に主体を認めているからであります。こういう状況をつくる、こういう状況は、一つの自と他との関係を無理やり相手に対して主体を認めようとする、相手を物体視しないという関係をつくる、これは自と他が関係に入っていくただ唯一の方法じゃないかと思う。というのは、エロティシズムというのはこれはサルトルのいういわゆる猥褻感でありまして、オブジェから触発される性欲であります。ところが自と他が関係に入っていくということは、そこにすでに対立があり、闘いがあるということをすなわち意味する。それで今の他者との関わり合いということですが、私も他者というものをどうしてもほしくなった。私は小説家としてエロティックにのみ世界と関わろうと非常に願っていたのです。そして私の初期の小説は、エロティックにのみ社会に関わっていて、大江健三郎とよく似ていたと思うのですが、そのうちにだんだんこういうものが嫌になって、どうしても一つの関係に入りたくなっていった。

 

「(小説家として)エロティックにのみ世界と関わる」というのは、オタク的な追究、専門家的な研究、つまり自分の内部に「完璧な美」、個人的な「金閣寺」、神のような存在を築くような在り方のことのように思われます。

 

それが続くと小さな世界での成功(?)繁栄(?)を目指す、手段を目的とするような「当面の秩序維持」のための活動のようになってきて、「だんだん嫌にな」り、もっと実地で、実際的に、もっとオープンに外に働きかけていきたくなったというのが、「他者をほしくなった」「一つの関係に入りたくなった」ということの意味なのではないかと私は思いました。

 

私自身も大学で研究することに対して、自分の興味を追求することをおもしろく感じる反面、一種の物足りなさを感じていました。この研究をすることで、どのぐらいのひとに、どの程度伝わるのかということ。そしてこの研究の目的はいったい何なのだろう? 私の目的はなんなのだろう?

 

教員になってからも最初は、自分が興味を持って学んできたことのおもしろさを伝えたいという気持ちで前に立ってきましたが(今もその気持ちはゼロではないですが)、信頼関係のない「ことば」の空疎さを体験した結果、学校で「一つの関係に入る」つまり「本当にことばを伝える」ことはほぼできないと痛感してやめることになりました。

 

この映画を観て、三島由紀夫が若者たちの要望に応え、「からだ」と「ことば」を与えて、「対立」のパフォーマンスをしながらも信頼を得て心が通い合う時空間をつくったことに励まされ、私も「他者と出会いたい」という思いで、以前とは立ち方を変えて今再び少しの間学校にいます。

 

※もう少し詳しく知りたい方に👇

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zubunogakkou.hatenablog.com

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