ぴんくのくまがいる

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『火を焚きなさい 山尾三省の詩のことば』① こどもを「教育」の犠牲にすることへの戒め

 

高校入学式

 

島は、山桜の花が満開である

 

教師たちよ

この百十八名の新入生達の魂を

あなたたちの「教育」の犠牲にするな

「望まれる社会人」に育てあげるな

破滅に向かう文明社会の

歯車ともリーダーともするな

教師たちよ

再び島に帰らぬ「都会人」を育てるな

第三世界を侵蝕する「国際人」を作るな

教師たちよ

この百十八名の新入生達の胸の奥に

山桜の花より静かに震えている 魂の光があることを

必死に凝視(みつ)めよ

あなたの職業の全力を投じて

それを必死に凝視(みつ)めよ

 

島は今 山桜の花が満開である

 

もし私が校長だったら、職員朝礼でこの詩を読み上げたいと思います。

 

昨今求められる「(経済的)有用性」「役に立つこと」を「教える」ということはどういうことか。

 

教師が「教える」ものは社会に都合がいいという意味での「役に立つ」であることがほとんどです。「教わっ」たと本人が感じるものは本人のためになっているかもしれませんが、犠牲に反して得るものはほんのわずかです。

 

液体状の人間を既存の鋳型に流し込む、分類しテンプレートにあてはめ、レールに載せ競争させて効率よくさばいていく、画一化する「教育」

 

つきつめると、「文明社会の歯車」として喜んで消費されることを望む人間を量産してしまうことになります。

 

自分で考え、生き生きと伸びていくことができるはずの「魂の光」の芽を摘むことになり、結果として文明社会の破滅をはやめるだけです。

 

本当に行きたいと思う方へ自分の足で歩んでいく人間は、大きなものにとっては面倒で都合が悪い存在かもしれませんが、そういう人間を増やす方が、寛容であたたかい社会になっていくし、宇宙全体にとっても本当は有意義で幸せなことなのではないかと思うのです。

 

 

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