ぴんくのくまがいる

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『火を焚きなさい 山尾三省の詩のことば』② 万人の胸に宿る詩を掘る

 

ドイツローマン派の詩人ノヴァーリス(一七七二年~一八〇一年)の『青い花』の扉には、次のような言葉が記されてある。

 

『すべて詩的なものは童話的でなければならぬ。

真の童話作者は未来の予言者である。

あらゆる童話は到るところにあってどこにもない、かの故郷の世界の夢である。』

 

この言葉は、詩の本質を見事に射抜いていると、私は感じる。現代詩、あるいは現代詩人と呼ばれているものの多くは、自己を習うのではなく自我を追求する近代思想のもとにあるので、ノヴァーリス童話と呼んだ詩の本質を遠く逸脱し、本来万人のものであるべき詩を、特殊な詩壇内の合言葉のようなものに狭めてしまった。

 

詩をもう一度、万人のものに取り戻したい。それが私の心からの願いである。万人の胸に開かれた自己としての神が宿っているように、万人の胸に詩が宿っているはずである。それを掘ることを、土を掘ることと同じく、自分の終生の仕事としたい。

 

「役に立つ」とはまさに「自我を追求する近代思想」だろう。

学校は「自己を習う」場所であったはずだ。

 

「アーティスト」など「職業」といわれるものも「自我を追求する近代思想」にあたるだろう。

「芸術」もお金を得るために、排他的になってしまい、門外漢や一般のひとには手を出せない領域になってしまうことのないようにしたい。

むしろ門外漢や一般のひとが何かしらのインスピレーションを得て、創作を始めるきっかけになってもらうことがうれしい。

つまり「一人間」として「アールブリュット」として「ずぶのしろうと」として「その人自身のプロ」としての「芸術」でありたいと願う。

 

「万人の胸に開かれた自己としての神が宿っているように、万人の胸に詩が宿っているはずである」

 

この「万人の胸に宿っている詩」が「高校入学式」の詩でいうところの

「山桜の花よりも静かに震えている魂の光」だと思う。

 

実は私も、それを掘りたいと思っているのです。

 

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